いとことはとこと結婚?ゲーデルやキュリー夫人も友人? アインシュタインの人間関係
アルベルト・アインシュタインは20世紀で最も影響力のある物理学者の一人であるだけでなく、様々な領域の幅広い著名人たちとの交友関係でも知られています。
科学者仲間との交流
神はサイコロは振らない 量子力学の学者たちとの関係
アインシュタインは同時代の多くの人々から尊敬され賞賛されていた。しかし、他の物理学者との関係は友情と論争の両方が混在していました。
同じ物理学者であり、マクロを対象とする相対性理論とは真逆ともいえるミクロの物理法則を考える量子論のリーダーでありパイオニアの学者で初期のリーダーともいえるマックス・プランクとは長い友情で結ばれていた。(名前で気付いた方もいると思いますがプランク定数の人である)
彼はアインシュタインの初期のキャリアに大きく貢献し、他人が理論を否定する中で彼の理論を擁護していたほどでした。
一方、量子論の系譜に開かれる量子力学の父と呼ばれるニールス・ボーアとの関係は、知的な緊張に満ちていた。
互いに尊敬し合いながらも量子力学の解釈をめぐって根本的に意見が対立していました。アインシュタインの「神は宇宙とサイコロを振らない」という有名な言葉は、ボーアの量子論に内在するランダム性に対してのものでした。
クルト・ゲーデル、フィリップ・レナール
また、アインシュタインはゲーデルの不完全性定理で有名な天才数学者クルト・ゲーデルと重要な関係にありました。
プリンストン高等研究所に在籍していた2人は年齢差やゲーデルの気難しさにもかかわらず仲の良い友人であった。プリンストン高等研究所時代、2人は親友となり、よく一緒に歩いて帰宅し、話に花を咲かせていたようである。
ちなみにこちらはプリンストン高等研究所だ。建物の横の道にはアインシュタインドライブという名前がついている。
一方、アインシュタインには不和な人間関係もあった。
有名なのは、同じ物理学者でノーベル賞受賞者でもあるフィリップ・レナールとの関係である。
レナールはアインシュタインの相対性理論を厳しく批判していた。それだけなら問題はなかったかもしれない。量子力学の学者たちとアインシュタインは厳しく論争したこともあるが仲が悪いわけではない。しかしナチス党員であったレナールは反ユダヤ主義を武器にアインシュタインに対抗し二人の関係は修復不可能なまでに悪化していった。
キュリー夫人とアインシュタイン
日本ではキュリー夫人という通称でもお馴染みのマリー・キュリーとの交流も興味深い。
マリー・キュリーは初期の放射性物質の研究でなんとノーベル物理学賞とノーベル化学賞を二つとも受賞した類まれな科学者である。そしてアインシュタインもマリーを「科学史上最も重要な女性の一人」と称し、お互いを尊敬し合う関係であった。
この関係で特筆すべきは、マリーのスキャンダラスな時期にアインシュタインが彼女を支援したことである。1911年、マリーは、未亡人でありながら既婚男性である同じ科学者のポール・ランジュバンと不倫関係にあったことが明らかになり、フランスのマスコミから性差別や排外主義的な激しい攻撃を受けた。
このスキャンダルにより、マリーは2度目のノーベル賞(化学賞)を受賞するも、その影に隠れてしまった。アインシュタインはこの時、彼女に手紙を書き、業績を軽んじようとする人たちの雑音に耳を貸さないようにと忠告した。
著名人との関係
変わったところでは公民権運動家とのつながりもある。俳優で活動家のポール・ロベソンと親交があり、アメリカのマッカーシー時代にはロベソンを支援した。さらに、W.E.B.デュボイスとも親交があり、デュボイスが外国人工作員として告発された際には、彼の弁護のために証言を提供した。
興味深いことに、アインシュタインはインドの指導者マハトマ・ガンジーともペンパル関係を結んでいた。彼らは会ったことはないが、手紙のやり取りで互いを尊敬し、非暴力についての意見を交わした。
音楽家として活躍したベルギー王妃エリザベートとも文通を続けていた。その手紙には、アインシュタインの音楽に対する愛情や、芸術家としての柔らかな一面が表れている。
アインシュタインと家族の関係
最初の妻ミレバ・マリッチ
アインシュタインは2度結婚し、最初はチューリッヒのスイス連邦工科大学の学生仲間だったミレバ・マリッチと結婚した。
二人の間には、ハンス・アルベルトとエドゥアルトという二人の息子と、リーゼルという養女に出した娘がいたが、その消息は不明で、アインシュタイン研究者の間では様々な憶測を呼んでいる。
アインシュタインとミレバとの関係は次第にぎくしゃくし、アインシュタインの家庭内暴力もあったようで1919年に離婚している。
アインシュタインはいとこと結婚?はとこと結婚? なんと両方正解です
その後アルベルト・アインシュタインはエルザ・レーヴェンタールと結婚した。エルザは元エルザ・アインシュタインである。どういうことかというと出生時にはアインシュタインという苗字だったのだ。
彼女はアルベルトの母親の姉と、更にアルベルトの父親のいとこの子供である。のちに彼女は結婚して苗字がレーヴェンタールに変わるがアルベルトと結婚して元に戻る数奇な運命である。
彼女は献身的な伴侶でありアインシュタインを社会的、個人的な不本意な関わりから守ってくれた。二人の間には子供はいなかったが、アインシュタインはエルザの最初の結婚相手との間にできた2人の娘を育てるのを手伝った。
アインシュタインの子供たち
アインシュタインには一歳でなくなってしまった長女リーゼル、長男ハンス、次男エドゥアルトが先妻ミレバとの間にいた。
長男のハンス・アルベルト・アインシュタインとの関係は、愛情、距離、誤解、和解が入り混じった関係であった。
特にアインシュタインがミレバと離婚した後は、物理的にも精神的にも距離があったにもかかわらず、父と息子の間で交わされた感動的な手紙が記録されている。
アインシュタインは晩年、「もっと気の利いた父親でいられなかったか」と悔やんだという。ハンスはアメリカの西海岸の名門校、カリフォルニア大学のバークレー校で父親と専攻こそ違うものの流体力学の教授となる。
次男のエドゥアルトは20代で統合失調症を患った。
その後入院したがその病院での治療が原因でひどく症状が悪化して精神病院で一生を送っている。エドゥアルトは母親ミレバには看病されていたが、ハンス以上に父には会っていない。ただ手紙のやり取りはしていたようだ。彼は音楽や芸術に生涯興味があり趣味はアインシュタインと同じであった。
一般市民との交流
アインシュタインが一般市民と交流し、著名な科学者としての地位を確立したことも特筆に値する。
相対性理論を発表したアインシュタインは国際的な有名人となり、しばしばファンレターや面会の依頼が殺到した。アインシュタインは内向的な性格でプライバシーを大切にすることで知られていたが、一般の人々との交流もしばしば行っていました。
非科学者に講演をしたり、大衆誌に記事を書いたり、社会正義のキャンペーンに参加したりと多方面で表に立って活躍していたといえるでしょう。
備考
クルト・ゲーデル
オーストリア系アメリカ人の論理学者、数学者、哲学者。彼の不完全性定理は数理論理学と哲学に大きな影響を与えた。
ゲーデルは数学のどの分野においても、その分野の規則や公理を用いても真偽を証明できない命題が必ず存在することを示した。彼の研究は哲学やコンピュータ・サイエンスなど、数学以外の分野にも広く影響を及ぼしている。
プリンストン高等研究所
ニュージャージー州プリンストンにある高等研究所は独立した私立の研究機関であり、学術界で最も優秀な頭脳を持つ人々の拠点となってきた。
1930年に設立されたこの研究所は、数学、自然科学、社会科学、歴史など、さまざまな分野の研究に取り組むことができるユニークな環境を提供している。アインシュタインだけでなく、上述の不完全性定理のゲーデル、原爆で有名な2023年には映画にもなってヒットしたオッペンハイマーといった著名人も皆、この研究所に所属していた。
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